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フランス語で「Poisson d'avril」は四月の魚、四月馬鹿のこと。日々のどうでもいいような話の置き所。

by 風待ち

岩内線

旅の話が出るとドキドキするとコメントをいただいたので、調子に乗って思い出話。

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私の北海道の旅のバイブル。
今は、宝物。
「とらべるまんの北海道」

これと、道内時刻表を携えて、旅に出た。
その場しのぎの行き当たりばったりの旅では、それらはガイドブックというより、お守りのようだった。
すべての元気のモト。
エネルギーの発生源とも言えた。

一般書店では手に入らない。
どこかのYHで一緒になったホステラーから、僕は自宅にきれいなやつがもう一冊あるからと、別れしなに手渡されたとき、私は小躍りするほど喜んだ。

私は、これを手に入れて初めて、「いっちょまえの北海道の旅人」になれたような気がした。
一般のガイドブックや地図を拒絶して、けして持参しようとしなかった私が、これだけは持ち歩いた。
全然関係のない土地へも、持って行った。
京都へも奈良へも、信州にも九州にも。
東北に持っていったとき、たまらなくなって、下北半島の先から、室蘭行きの船に乗ってしまった。

けれど、東京の自宅や学校や会社にいても、これさえ眺めていれば、私の心は常に北の大地を旅することができた。
そこに書かれたけして上手とはいえない手書きの文字の一文字一文字まで、穴が開くほど見つめた。
その中のいくつかは実際に訪れることができたけれど、できなかった場所も、行ってきたかのように詳しく語れるほど、すべての文章が今も私の脳に刻まれている。
それは、けして消えることのないタトゥーのように、私の旅人時代を彩っているのだ。

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今は、かなりメジャーになってしまった観光地も、当時は知る人ぞ知る、知らない人は知らないマニアックなものが多く、そういうところばかり選んだように掲載されていた。
そんな場所を訪れる旅人は、ほとんどがこれを持っており、私は出会った見知らぬ旅人たちと、これを持っているということだけで、古い旅仲間のように接することができた。
そういう旅人たちは、間違いなく団体よりひとり旅を好み、キャスターつきのスーツケースでなくバックパックをかつぎ、予定通りの特急の指定席より行き当たりばったりの鈍行の旅を選択した。

私は彼らと、ブランド名の土産より名も知らぬ職人のただ一点ものを好んで購入し、豪華ホテルの大浴場への日帰り入浴より地元の銭湯に入りに行き、レストランより食堂を探した。
キヨスクのパンなら、クリームパンとあんぱんのどちらが好みか、などと話した。
似たほどに金欠で、それなのに少しでも長く旅に留まりたいと願い、そのためにバスをあきらめてヒッチハイクをした。

拘束と服従を嫌い、けれどそれを受け入れなければならない現実から逃げながら、一方でそれらに立ち向かいつつ自分を生かすすべを探る、そのエネルギーを蓄えるための逃亡でもあった。
そのために必要な非日常が、この本にはあった。

他のどんなガイドブックにも書かれていない、一般旅行客には何の魅力も感じさせない、「ナンデモナイタダノガケ」が、私たちには憧れの土地となり、征服すれば自慢のタネとなった。
これは、そういう意味で、私にとって通行手形または家紋入りの印籠のようであり、仲間であることの何よりの証明とも思えた。

今も、これを手に取ると、私の心には尽きることのない北の旅への憧れがこみ上げてくる。
そして、それが永遠に未消化であることを願いながら、私の心は緩やかに咀嚼を続ける。

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タイトルの「岩内線」は、小樽の西南にある函館本線の「小沢駅」から終点「岩内駅」までを結んだ盲腸線で、1985年に廃線になった。
水上勉の「飢餓海峡」は、私の好きな作品だが、その舞台のひとつとなった町や雷電海岸がほど近い。

廃線になる前、ただ一度だけ、この線に乗ったことがある。
そのとき、抱いた想いが、辿りついたYHで歌になっているのを知った。
東京に帰りたくない一心で臨時ヘルパーをしたお礼にカセットテープをもらい、何度も聴いたので、いまもそらで歌える。


   「岩内線」  作詞・作曲 そーじや

 四年もたったから あなたのことは
 忘れているはずと 思っていました
 久しぶりだから 一人の旅は
 夏の列車に 揺られていくのも

 夢が見たかった あの年の夏は
 少し傷ついても 想い出がほしかった

 小さな駅だから 乗り換えの駅は
 蝉の声だけが 響いているね
 大きな荷物を 小さな背中にしょって
 それでも足らないで 両手には紙袋

 岩内線は そんなお婆さん
 いっぱいに 詰め込んで 走ってゆくよ

 窓を開いて 外を見れば
 夏の匂いが 流れてくるよ
 岩内線に 夢を詰め込んだ
 そんな昔が 帰ってくるよ

 夢が見たかった あの年の夏は
 少し傷ついても 想い出がほしかった


昔、と思ったあの頃ごと、今はもっと昔と思うまでになった。
そう書いている今も、いつか昔と懐かしむ日が来るのだろうと思う。

そのとき、私の心には、きっと岩内線が走る。
そして、しわだらけの手が、しわだらけの古い冊子のページをめくり、私は今はない北の駅のホームで、幻の蝉の声に圧倒されるのだ。

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「凪のお暇」最終回!
いまは、なかなか旅に出られないので、この夏もテレビ三昧。
でも、旅番組は見ない(笑

# by kazematic-night | 2019-09-20 22:02 | 過去 | Trackback

わかるということ

「勉強しなさい」と言われたことがない。
「宿題は?」とか「試験は?」とかもない。
ついでに、朝、起こされたこともない。

宿題をやっているとき、母はまだ仕事中だったし、試験勉強とかいうものは、前日の深夜になって慌てて一夜漬けをしているわけで、この時間は母は寝ていた。
だから、母は私が勉強している姿をほとんど見たことがない。

試験当日の朝、一夜漬けの徹夜のはずが、うっかり寝てしまった後悔いっぱいの顔を見て、ははあ今日は試験なのか、と察するのが関の山、その時点で責めても取り返しがつくものでもないから、それには触れずに送り出した。
それに、こういうとき、誰かに責められる以前に、思いっきり自分で責めている。
わかっているものに、追い討ちをかけるような言い方をしない、というのが母のスタンスだった。

今、部屋を片付けようと思っていたとする。
だが、その前にちょっとだけ見たいテレビ番組がある。
見ながらだらだら片付けるより、見終わってから、集中してやっつけてしまおう。
そこへ、テレビ見ている時間があるなら、少しは部屋でも片付けたら、と言われたとする。
途端に気持ちが萎える。
萎えながら「わかった」と返事をする。
母はこの「わかった」が嫌いだった。

この「わかった」は、片付けなければならないという現実を理解したのではなく、あなたの言うことはわかった、という意味である。
あなたの意見はわかったが、私の選択はあなたの命令どおりとは限りませんよ、という反発と、とりあえずこの場をやり過ごすための相槌のような意味を含んでいる。
心底から理解し、共感し、服従するものではない。

面倒だから言ったのだ。
うっとおしいから放った言葉だ。

この「わかった」を聞くと、言われたほうはさらに腹が立つ。
ちっともわかってないじゃないの!
わかったなら、なぜ今すぐテレビを消して片付けないの!
という気持ちになる。

この番組が終わったらやろうと思ってたんだよ~
の言葉は、真にそう思っていたのにもかかわらず、なぜか言い訳のように聞こえてしまう。
言い訳をしてるひまがあったら、とっととやれ~となる。

このあとの展開、片付けたにせよ、しなかったにせよ、双方に気分が悪い。
1時間で片付けられたものが、むかつきながらやっているので2時間かかってしまう。
あるいは適当にやっつけてしまうので、あとでどこにしまったかわからなくなる。
(これは今もだ。いや、今のは年のせいだ。)

だから母は、ギリギリまで待った。
今やろうと思っていたなら、やれと追い討ちをかけることは逆効果になる、ということを、幼い頃から農作業だの子守りだのおさんどんだのの手伝いをさせられていた経験から知っていた。
子供には子供の段取りがある、はずだ。

私も母の遺伝子を引き継いで「わかった」が嫌いだ。
言いたくもないし、聞きたくもない。

安易に「わかった」を繰り返す人は信用ならない、と思う。
「わかる」ということは「理解する」に近いが、ときに「共感」にも使われる。
「あなたの立場や悲しみはよくわかる」

そこに安堵を感じる場合とそうでない場合がある。
わかってくれて嬉しいのとうらはらに、心のどこかにふん!という気持ちがある。
あなたに何がわかる?
そう簡単にわかってたまるか!
あなたは私じゃないんだから。

親子、兄弟、夫婦、恋人、親友といえども、けして踏み込めない場所がある。
踏み込んではいけない部分がある。
求めるのは、理解ではなく認容。

どこまでが入ってよくて、どこからがダメなのか。
招いているのか、拒んでいるのか。
それを見極めるのが、「大人力」なのかもしれない。
そして、招く場所も拒む場所も、ひっくるめてまるごと好きになるのが「愛」かもしれないと思う。

人と人とは、真にわかり合うことはできないと、ずっと書き続けてきた。
故犬養元首相は5.15の際に「話せばわかる」と言われたとあり、その信念は素晴らしいと思うが、話してわかる相手なら、そもそも「話せばわかる」などと説得開始の号令など必要ない。

それを承知で、やはり人は人に理解されたいと願う。
わかってほしいと思う。
「わかるよ」と言われて、泣いてしまうことだってある。
ああ、私はひとりじゃないんだ。

理解されて、相手も理解したいと思う。
そして理解できるよう、してもらえるよう、言葉を交わし、行動を見せる。
人の心とは、なんと難しいものだろう。
そして、なんと素敵なものだろう。
できないとわかっているのに、そこを目指して努力する。

旅のしかたは生きかたと同じ、と2つ前の記事に書いた。
私の好きな旅は、目的地を目指さない。
間違えたり、迷ったり、立ち止まったり、後戻りすることを丸ごと楽しむ。
外国に行って、言葉が通じないこと、習慣が違うこと、その戸惑いや驚きが旅の醍醐味だ。
一番好きなのは、ヨーロッパの田舎町での安宿探し。
部屋を見せてもらって、身振り手振りで値段交渉する。
それは、私の好みや価値観を伝えるということだ。
私をわかってもらうこと。
半日を費やしても、観光地でガイドブックの確認作業をするのよりも楽しいし、私にとっては価値がある。

決められた過程を時間通りにこなしていくのは、私にとっては旅ではなくて仕事であり、お金を頂戴してこその作業である。
だから、団体旅行は嫌い。
人を旅するのも、きっと同じだと思う。

昨日、今日と面接だった。
昨日の会社は、お断りした。
会社の外で、その理由をしつこく聞かれて、説得されること1時間。
最初は角を立てないようなもっともらしい理由を言ったが、紹介担当者は納得しない。
どこがネックなのかと同じ話の繰り返し。
挙句「みんなに断られて、もうあなたしかいないんです。」ときた。
みんなが断るような会社、私だって断りたい。

そして
「箇条書きに理由を挙げていって、ひとつひとつクリアにしていけるようなものではないんです。言うなれば、長年のカンです。たくさんの会社で働いてきたカンが、ここは無理だと言ってるんです。」
と言った。
それで解放された。

昨年、正社員を退職してから3度、この「情」というものにほだされて、つい引き受けてしまった。
混乱、滞留、不正。その収拾と修正。
ストレスとプレッシャーと過労で血尿は出るし、腰は痛いし(^^;
友人は、そんな私を「面倒な仕事引受人」と笑った。
今回は、強い意志を持って、冷静に判断すると決めていた。
溺れる人を見捨ててきたような気持ちで眠ったせいか、朝方その社長にねちねちと責められる夢を見る。

今日の面接の会社は、始まる前からもう断ろうと思っていた。
もう少しゆとりを持って探してみたいと感じ始めていて、紹介担当者にも、正直にその旨を伝えた。
でも、断ってもいいから一度会ってくれと言われた。
それはそうだ。
私も、会わずに断られるより、会って断られたほうがいい。
それに何より私は面接好きなのだ。

面接は楽しかった。
面接は、人と人との出会い。
わかるはずないとわかっていても、伝えようとし、受け止めようとするその過程がいい。
「風待ちさん、まったく緊張していませんね」とみんな笑う。
「はい。面接は楽しいので。」と私も笑う。
「あなたと話すのが楽しい」と言われて、悪い気持ちになる人はいない。
だから、余計に話が弾み、好感は高まる。
スキルや経験なんて、どの応募者もさほど差はない。

結果的に、1年契約でその会社に決めてしまった。
入ってみたらトンデモかもしれないけれど、ここまでの過程が楽しかったからまあいいや。
これは、一人旅を重ねたおかげ。
思い切り人見知りで、訛りのせいで人と話すのが嫌で、苛められて登校拒否になっていた私とは思えない。
しかし、人は変わるのだ。
変わっていく過程が思い出になり、いまの私を支える。

帰りに、祝杯をあげた。
面接の勝率が高いのは、たぶんすぐに友達感覚で話すから。
どこに行っても、もう何年も前からいるようだと言われる(^^;
なんのことはない。ただ図々しいだけ。

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「この頬も この手も指もクチビルも 賞味期限は 今日までだからね」

# by kazematic-night | 2019-09-19 21:17 | 日常 | Trackback

口実

祖母と父と兄の墓参。
恒例になりつつある、ちょい足延ばし温泉。

各駅停車を乗り継いで、家から霊園まで3時間。
霊園から温泉まで1時間半。

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墓参はほぼ口実になりつつある。
にいちゃん、すまん。

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何かを取り戻すようにムキになっている私。
わずかな隙間も許せずに、予定を詰め込んでしまう。
お風呂には、最低でも3回は入らないとモトが取れないと思い込んでいる。
モトってなんだ?(笑)

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到着時刻から就寝希望時刻までの時間を、つい配分する。
今日中に2回は温泉に入るとして2時間半、夕食に1時間、セットになっているマッサージに1時間、それぞれの間に15分〜30分の休憩時間を入れ、散歩もしたい、お昼寝もしたい、ホテルがくれたタダ券使って珈琲も飲みたい。
計算すると、時間が足らない。
どこかで余裕を作るために、焦って所要時間を切り詰める。
結果、ちっともゆっくりできない。
アホじゃん(笑)

明日から内職が入る予定だし、面接も2件入ってて、うち1件に決まれば来週から働くことになる。
時間が足らない!

若い頃は、お金はないけど時間はたっぷりあって、旅先でぼんやり海や山を眺めていた。
あれをしなきゃ、これをしなきゃって、マストばかり作る生き方を、否定していたはずなのに。

結婚と介護が、こういう私を作った。
それから、兄の早過ぎた死も。

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ビールが半額だったけど、スーパードライだったので飲むのをやめた。
昔は安かったホッケを、いまは贅沢品として食べる。
これから2回目の入浴をして、湯上りに、地元スーパーで仕入れた地ビールを飲む。

おっと、その間に珈琲をクリア。

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# by kazematic-night | 2019-09-17 18:30 | | Trackback

今日も誕生祝

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友達になるきっかけは2つある。
外的要因と内的要因。

子供のころは、家が近い子やクラスや部活が同じ子と仲良くなる。
最初に何らかの外的な条件が一致するところから始まる。
だから、その外的条件がなくなると、関係が途絶えることも多い。

小学校の友達とは、いまはFBでコメントする人が一人。
小学校当時は、ほとんど話をしたことがない。
10数年前、私が同級会の幹事になっときに、あらためて知り合った。
同じく幹事を務めた人たちとは、会が終わったらそれっきり。
私は、その人たちがあまりにも幹事の仕事をしないので、こっそりとキレて疎遠になったのである。

中学校の友達も、いま残っている人が一人だけ。
高校と大学の同級生とは、もう一人もつきあいがない。
特に女性は、卒業後、故郷に帰って就職したり、結婚や出産や育児、介護に伴っての生活環境の変化が大きい。
しかも多様だ。
ひとそれぞれにそれぞれの事情が発生して、学生時代のイメージとは違った暮らしをする場合もある。
想像が難しい。
でも、想像しないと、人は傷つけ合ってしまうから、付き合いの外的要因がなくなったら、ある程度距離を置いて、互いに様子をうかがうような格好になる。

いま、会って飲んだり食べたりしゃべったりするのは、ほとんど大人になってからの友人だ。
うち、2人くらい、若いころ旅先で知り合った人がいる。
あとは、会社ごとに1人か2人ずつくらい、退職後も仲良くする人がいて、残りは、ネットで知り合った友達である。

ブログで知り合った友達は、大体がもう10年以上のつきあいで、学校が同じとか家が近いとかではなくて、最初に価値観の一致がある。
最初に本丸を見てから、外堀を知る。
だから長続きする。
旅のしかたは、生きかたと同じだから、旅人同士のつきあいも長く続く。

中学校の同級生でいまもつきあっている人は、その例外。
もう40数年のつきあい。
「友達はみな貧乏人」の私だけれど、そこもまた唯一の例外。
生まれ育った環境も、その後の人生も、真逆な二人だ。
どうして、こんなに親しさが長持ちするのか、当人にもわからない。
わからなさが突き抜けているからかもしれない。
羨望はあるけれども、嫉妬の桁を超えたカネモチ(笑
きっと、中途半端にわかったような気にならないのがいいのだろう。

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今日は、その彼女に、銀座で高級中華のランチと高っかい珈琲をごちそうになった。
普段、中華なんて、日高屋しか入らない。
申し訳ない気持ちはあれど、もう何十年もそうなので、感謝しつつ、私も遠慮がない(^^;

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プレゼントももらってしまった。
恋人や家族にも、そんなプレゼントもらったことないのに。

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彼女は、高価なご馳走や贈り物に「お金」ではなく「気持ち」を感じさせる人だ。
私のような者が「お金はかけられないけれど、せめて気持ちを」という心の込め方と、根本的に違うのだ。
そのことに、いつも価値観を刷新される思い。
40数年ものあいだ、それが変わらない。

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明日は墓参。
お彼岸の前倒しだ。
宝くじが当たるよう、父や兄にお願いしてこよう、などと考えるあたりが、もうお里が知れる(笑

# by kazematic-night | 2019-09-16 21:53 | 日常 | Trackback

十六夜

まだ、今週のことだったのか、と思う。
台風15号。

電気も水も情報もない暮らしを強いられているかたがたにとって、この時の流れ方の遅さを思う。
いや、遅いのは時ではなく、人の対応だろう。
胸が詰まる。

自然の脅威に人間は敵いきれない。
私は相変わらず、対岸から怒ったり悔しがったり悲しんだりするだけだ。
自分へのやり場のない憤り。

ごみ置き場の鉄骨の屋根は、業者さんの手配がつかないということでまだ飛んだままになっている。
阻まれた駐車場の車は出し入れができぬままだが、人や車に当たらなかっただけでもよしとするしかない。
私の住まうあたりでさえ、そんな光景があちこちにある。

屋上の避雷針を取り付けてある土台が壊れたという回覧も回ってきた。
こちらも、修繕予定が立たない。
大丈夫なの?
避雷針が取れたら、雷、落ちるんじゃないの?
それはたぶん、最上階のうちの上にある。

「オーメン」だったっけ。
避雷針が槍のように刺さる場面は。

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今宵は十六夜。

昨夜は13日の金曜日で仏滅で十五夜だった。
沈みゆく船から逃げ出す私を、そうとは知らぬ同僚たちが惜しんでくれた。
お菓子を配って頭を下げながら、すべてを暴露したい衝動と闘う。
しかし、事実と誹謗とを分ける証拠は、開示されていない。
私の業務だからこそ、知りえたこと。

何が誰に幸せを、あるいは不幸せをもたらすのか、私にはわからない。
業務については、私にできることはやり切ったと思う。
正しいとされる範囲で。
不正に関わる手前まで。
そこは、いくぶん清々しい。
自ら交渉して手に入れた好待遇を蹴るのが惜しくないかといえば嘘になるし、無駄なプライドにこだわってばかりで、いくつになっても大人になりきれないなと思うけれども。



昨夜の空に十五夜の月を見ることはできなかった。

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バースデー週間?というわけではないが、今日からしばらく、友人との飲み会が続く。
今日は、例の台風の日から変更した受診を終えてから、去年まで働いていた街に飲みにだけ行った。

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明日は母のところへ。
明後日の昼間は、別の友人に銀座でご馳走になる。
明々後日は墓参。
そのあと、連チャンで面接の予定が入っていて、結局、毎日都心に出かけるようだ。
昨年の退職休暇?同様あわただしい。
ちなみに、2件の面接先、どちらも結構うさんくさい(笑
しかし、とりあえずは収入の道の確保が大事。
正直、もう経営部分が見える業務はしたくないのだが。

昨夜、月が見えなかった私に、深夜、友人から「今なら見える」とメールがある。
面倒なので、外に出てみることはしなかったが、小さく笑って眠る。

# by kazematic-night | 2019-09-14 23:33 | 日常 | Trackback

馬鹿の皮

一昨日の台風は、観測史上最強の暴風雨と言われた。
去年の今日は、どんな日だったか、もう憶えていない。
来年の今日のことは、おそろしくて考えられない。

高層ビルに旅客機が突っ込んだ映像を見たのは、もう18年も前になる。
震災からは、8年と半年。
地震や事故のこと、その後の暮らしのこと、なにか少しでも解決されただろうか。
9.11 私の誕生日はいのちの日。

私は、また1枚、馬鹿の皮を剥く。
どれくらい剥いたら、何かが覗けるのか見当もつかない。
剥いて剥いて剥き尽したときに、芯には何もなかったことがわかるのかもしれない。
それは、失望なのか、それとも安堵か。

今日は、剥き捨ててきた馬鹿の皮を拾い集める日だ。
過ごしてきた日々と、そのときどきの想いの沁みた皮を拾い上げて、ジグソーパズルのように並べていく。
そこに浮かび上がった、愚かで、弱くて、みっともない自分を、いもしない我が子のように抱きしめる。

そして次の瞬間、それらをまた放り出しては、今年の皮を剥くのだ。
皮のかけらを、マーキングのようにそこかしこに置いては、私が生きた証とするのだ。
母が私を産んだ証と。

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    次を剥いたら
    リコウが出てくるかと
    玉ねぎのように
    バカの皮を
    剥く

# by kazematic-night | 2019-09-11 07:26 | 日常 | Trackback

みっともなさ

私が生きている世界では、知識や経験を重ね、その道に精通した人が上位を得る。
営業のヒラ社員が経験を積んで主任や係長になり、営業一課長になり、やがて営業部長になる。
大工さんも板前さんも、技術を磨いて、棟梁や親方と呼ばれるようになる。

総務課長がいきなり営業部長になっても、本人も周囲も戸惑うばかりだ。
しかし、それはまあいい。
百歩譲る(←何様だ 笑)

私が働いている社会では、先に「こいつを部長にしよう」と決めてから、「はて、どの部にしようかな」ということは少ないと思われる。
知識や経験に乏しい者の指示や評価は適切でないことが多く、非効率なだけでなく、相互の信頼を得にくいからだ。
最初に人があって、そこにポジションを当てはめることが功を奏するのは、芝居の当て書きくらいだろう。
この役者をどうしても起用したいと思い、その人のキャラを生かした役を創造する。

組閣のたびに感じる不思議さ。
現実からかけ離れたような違和感。

先に「入閣情報」が流れる。
この人が大臣になるらしい。
そして、「はて、何大臣になるのかな」

これは、芝居なのか。
フィクションなのか。
非現実なのか。

だったら、どんなにいいだろう。

しかし、組閣時には、現実として繰り返される。
この人に是非この部署のトップをやってほしい、ではなく、とりあえずこの人は入閣させる。
で、どこに持っていく?

このなんとも言えない居心地の悪さ。
何に対してか、誰に対してかわからないが、とても恥ずかしい。
予想をするマスコミも恥ずかしい。
ニュース自体がみっともない。

大臣になった記者会見で、「(対処を迫られる問題について)これから勉強します」とか言うのが、滅法恥ずかしい。
勉強してからおいで、と言いたくなる。
それが嬉しそうなのがまたみっともない。

この違和感満載の国で、私は生きていかなければならない。
生きて、働かなければならない。

明日、ひとつ歳を重ねる。
経験を武器に、上位に盾を突きながら、戦うように生きていく。

# by kazematic-night | 2019-09-10 22:13 | 日常 | Trackback

嵐の夜と朝に

NHKの世論調査のサンプル数が2300人ちょっとだった。
たったの?

2018年の日本の人口は1億2646万人ほど。
うち、20歳に満たない2135万人ほどを除くと、1億511万人ほどになる。

2300人ちょっとのうち、回答数がいくつだったか聞き漏らした。
まず母数の少なさに衝撃を受けて。
回答率は半分くらい?
だとしたら、1,150/126,460,000?
0.00090938%?
そんなもんなのか。
当確を打つための出口調査のサンプル数は、どれくらいなのだろうか。

なので、そこで出た内閣支持率とかに、個人的にはまったく信ぴょう性を感じられなくなってしまった。
私の周囲では、10%もない。
みんな、私の思いを忖度して、支持表明を控えているのか。
それとも、友達はみな貧乏人だからだろうか。

「妻のパート収入は25万円」とアベさんが言ったかどうかは知らない。
その発言は事実ではないかもしれないが、私は思った。
「アベさんなら、そう言っても(そういう認識でも)おかしくない」

要介護2というのは、どういう状態か、実際に介護に携わっていない人にはピンとこないだろう。
また、自治体や、ぶっちゃけ認定調査の担当官によって、その基準はさまざまである。
母は、3市の認定調査を受けているが、さほど変化のない状態で、要介護2から4まで出ている。
自宅介護のときはケアマネの力、施設介護のときは施設とのコネクション、そういうものも加味されているというのが正直な印象だ。

要介護4が出たときの母は、サービス付き高齢者住宅、いわゆる「サ高住」に入っていて、私は調査に立ち会わなかったのだが、後日ケアマネさんと施設長に言われたのが「認知症も上乗せしてもらったので要介護3は固いでしょう」という言葉だった。
3が取れれば特養への申し込みができる。
2と3の差は書類上は大きい。
そして出た結果が4だった。
びっくりである。
何かの間違いかと思ったが、通知書には確かに4とあった。
専門家ではないので正しくはわからないが、あくまでも私のイメージとしては、4は寝たきりで意思の疎通が極めて困難。
箸はもちろんスプーンも持てない、という印象である。

母は、兄と住んでいた自治体では2だった。
2でサ高住に移ってきた。
そのころと、状態は変わっていないように見えたのだが。

お金が払えなくて、サ高住から老健に移る。
市が違うので、再認定が必要となり、出た結果は要介護2。
えっ?

老健に入って2度目の認定は3。
これは心臓の病が原因で動きが悪くなり、介助の度合いが大きくなったからだろうか。
手術を経て、再入所。
次の認定で、また2に戻った。

しかし私の目には、2と3と4と、母の状態にはそれほど差がないように見える。
兄と暮らしていたころの2よりは、認知症は進んでいる。
この認知症をもって4になっていたのだと思うが、いまは2だ。
デイサービスを使いながら自宅介護していた兄の介護度も2だったが、これは病気のためだから、病状によってできることの差が大きかった。

母は、自立歩行はできない。
普段は車椅子に乗り、介助をしてもらいながらバーにつかまって一瞬は立つことができる。
だから、介助付きでトイレの便器に移動できる。
尿意や便意は伝えることができる。
しかし、間に合わないので介護パンツを穿いている。
入浴は、本人はいつも介助浴だと言い張っているが、状況によって機械浴のときもあるようだ。
母にとって「排便介助でお尻を見られる」ことより、「機械に乗せたままザブンと湯に浸けられる」ことのほうがプライドを損なうものらしい。

こぼすけれども、自分で箸を持てる。
朝食を食べたという明確な記憶はないが、お昼になったから、きっと朝も食べたのだろうという推測で「食べた」と言う。
何を食べたかはもちろん覚えていない。

私の名前はまだわかる。
兄の名前はもうわからない。
実の父親と夫(私の父)の区別があいまいになり、ありもしない想像を経験として語る。
5分前に聞いたり話したりしたことは、まったく覚えていない。

人の気持ちを読む気ぃ遣いだったが、いまは、ときおり他の入所者やヘルパーさんに失礼な発言をすることがある。
それが失礼だということも、たぶんわからない。
自立歩行できないので徘徊はない。

これが、母の「要介護2」だ。

この母を、いま、一人で自宅介護できるかといったら、もうそれはできない。
実際、仕事に行って生活費を稼がねばならないので無理なのだが、腰が痛いのでさらにできない。
施設さまさま、ヘルパーさんさまさま、介護保険さまさまである。
それを。

なんということか!
要介護1と要介護2を、介護保険サービスの対象外とするという話し合いが始まったという。
介護サービスを受けられなくなるということは、母と私に死ねということである。
収入に対する支出の割合が、現実の能力を超えている。
それは、全国にいる母と私のような人たちを見捨てるということだ。

これが仕打ちか。
消費税10%にされて、ただでさえ生活が苦しくなるところにこれか!

さらに。
医療保険の対象から、花粉症薬、湿布薬、保湿薬などを外すという話し合いも持たれている。
私は花粉症薬なしでは、鼻水だらだらで仕事に行けない。
市販のを買えって、市販の薬は高いじゃん。
腰が痛いので湿布薬も処方されている。
これも、市販のはバカ高い。

もう死んでしまったけれども、兄は保湿薬を処方されていた。
抗がん剤の副作用で、皮膚がボロボロに荒れる。
カサカサで、動くと白い粉が舞った。
シーツや床に、剥けた皮膚が積もった。
それを少しでも和らげるために、保湿薬は必需だった。

いのちの危険と戦いつつ、経済的な困難とも同時に戦わなければならない患者やその家族から、これらの薬を奪うのか。

お金がかかるなら要らないよと、生きていたら兄は言うと思う。
そういう人だ。
私も、実費になるなら、薬は要らない。
いや、要るけど我慢する。

これが仕打ちか!
なんのだよ!

日本の大人の0.00090938%の48%がアベさんを支持している。
その人たちの暮らしはどんなものなんだろう?
選挙をやれば、やっぱり与党が勝つということは、介護や医療の問題など屁でもないと思う人がたくさんいるということか。

朝、起きてゴミ出しに行くと、マンションの共同ゴミ置き場の鉄骨の屋根がなかった。
暴風で飛ばされて、隣の駐車場に落ちていた。
誰かの車の上に落ちなくて良かった。
たぶん早朝だったので、人もいなかったのが幸い。
住人の成人男子6人ほどで持ち上げようとしたがびくともしない。
そんな重たいものが飛んだのだ。

前の国道は冠水していた。
解放廊下から豪雨が侵入して、玄関が水浸しになった住居もある。
ドアの向きが幸いして、うちは浸水しなかった。

昨夜は、懐中電灯とトランジスタラジオと貴重品を入れたリュックを枕元に置いて寝た。
スマホは満充電。
水とトイレットペーパーは買い置きがたくさんある。
昼間に入浴を済ませて、湯を落とさずにおいた。
ガラスが割れると怖いので、部屋の真ん中に布団を敷こうと思ったが、これは面倒さが勝って、窓際のベッドに入った。
しかし、念のため、ガラス屋さんの電話番号を調べてメモを書いておく。
そのときになってのスマホやネットでは、繋がりにくい可能性があるから。

前の記事に書いたように、私はそういう性格だ(^^;
産めないから案ずる。

取り越し苦労だと笑えるなら、それが幸せ。
笑えない明日を予想するから、嘆いたり憤ったりする。
この政治に。
行政に。

台風とは別に、今日は通院のために会社を休んだが、病院のスタッフも通勤ができず、診療開始がいつになるかわからないというので、早々にあきらめて予約を取り直した。
病院のあたりは、どうやら停電があったもよう。
エレベータも止まっていた。

ネットで見たら、駅に入場規制がかかっていて長蛇の列だった。
計画運休が決まった時点で、会社や学校は公休扱いにすべきではないか。
通勤の手段が奪われているのに、会社には行かなくてはならないというのは、組織力が劣っているだけではなく、個人の意識が、昭和時代と同じような「皆勤尊重主義」のままだと実感させた。
「どんなことをしても来い」「行かなければならない」という意識が、登校拒否や出社拒否、心を病む温床になっているのではないか。
並んでいる人たちの真面目さには感嘆しつつ、日本社会や日本人の意識に狂気を感じた日だった。

「あな番」の犯人は予想通りだったが、七瀬さんには、この役は難しすぎたと思う。
セリフが少なければ、サイコパスにも見えたけれども、犯行の独白の長いセリフは荷が重すぎた。
セリフを言うのにいっぱいいっぱいで、演技どころではなく、私がプロンプターのようにハラハラした。
探偵役に説明させれば良かったのに。

伏線回収が完了しなかったのは残念だが、全部きれいに片づけられるのは、三谷さんかクドカンくらいのものだろう。
一周回ってふりだしに戻ったような気分。
それでも、憂鬱な日曜の夜を楽しみにするという人を増やした功績は大きい。
録画でなく、リアタイしてツイートして、離れたところで知らない人とドラマを楽しむ新しい視聴のかたち。
そのあいだだけ、台風の怖さを忘れた。

# by kazematic-night | 2019-09-09 21:45 | 日常 | Trackback
関東を台風直撃と、天気予報が告げている。
明後日は、椎間板じゃないほうの病気の通院日。
びしょ濡れになっても、飛来物に当たっても、私一人のことだから、そんなに心配していない。

兄がいたときは、毎日のように洗濯をしていたが(本人の意図とは別に粗相が多く)いまは、土日に集中してやっている。
土曜日には、私の衣類やタオルやマット類。
日曜日には、シーツと母の衣類。
シーツやマット類を除いて、雨が降っても、台風が来てもやる。
雨の日は、部屋干しで、扇風機の風を当てている。

都心は雨が降り出したらしいが、こちらはまだ日差しがある。
しかし、台風に備えて、竿は固定した。(ゴムでぐるぐる巻き)
雲行きが怪しくなったら、すぐに取り込めるよう、ピンチのついた物干しを竿にかけてあるだけ。
入れ終わったら、ベランダのサンダルも避難させる予定。

そういえば、去年の9月の21号台風のときは、故郷の墓参に行っていた。
私が金沢駅に着いたとたん、関西から北陸、関東に至るまでJRは全線ストップ。
もちろん市内のバスもだ。
緊急事態なので、コンビニで食糧を買い込み、12時過ぎにチェックインしてホテルに籠った。
部屋のテレビで、関空の甚大な被害を目にして、翌日の墓参をどうしようかと思ったが、迎えに来てくれる従姉に電話をしたら、屈託なく「だいじょぶ、だいじょぶ」と言われた。
根拠を問うと「台風は強いままでは白山を越えられないから」とのこと。

信仰のようでもあり、長年の経験則かとも思い、科学的なものも一部にはあるような気もした。
その集大成の確信に、ちょっと打たれる思いだった。
はたして、吹き返しの風は残ったものの、翌日の墓参は滞りなく実施。

「運命」という言葉は好きではないが、運を左右する偶然はある。
でも、うまくいったのは、たまたまの話。
私はやっぱり、さまざまな展開を想像しては、そのひとつひとつに対処法を考えずにはいられない。
で、周囲からはよく「ほうらね、案ずるより産むが易しでしょ」と笑われる。

うん。
でも。
ひとりでは産めないよね。
それって家族や周囲の人の手助けがあるっていう前提の言葉だよね。
ひとりでやろうとしたら、頼れるものがないとしたら、ただで手に入る情報と、策だ。

愚策でも無策よりマシ。
奇策は好むところ。

「なんとかなるよ」のあとに「私がなんとかしてあげるから」と続くのならいいが、それなしでただ楽観や安心を勧められると、私はかえって安心できない。
あるいは、その人が本当になんとかしてくれそうなら、それはそれで、その人の手を煩わせるのは申し訳ないと思って、やっぱり私がやらなければと決意する。

先読み、深読みが癖になっているから、読む必要のないわかりやすいものが苦手。
はじめから感動させようと意図したものに、やすやすと乗って素直に感動することができない。
シンプルでストレートなものは、心に引っかからずスルッと抜けて、なんの感情も引き起こさない。
だからきっと「あな番」の考察にハマるんだな。
今夜が楽しみ。
外はきっと暴風雨だろうけれども。

# by kazematic-night | 2019-09-08 12:43 | 日常 | Trackback

損だと思う。

悲観主義者と楽観主義者に分けるとしたら、私は間違いなく前者だと思う。
いつも、最悪の事態を想像して、そうなったときの対処法を考える。
そうならないために、今打てる手を考える。
最悪の事態を想像することで、現実にそうなったときの衝撃を和らげ、覚悟を決めるため。
そうしないと、不安なのだ。

だから、最悪のときの準備と心構えが調って初めて「なんとかなる」と思える。
何も考えず、しないうちに「なんとかなる」と思える人はすごいな、と思う。
けれど私は、やはり楽観主義者は得意じゃない(^_^;)
なんとかなるなどと言っても、ならないことはたくさんあるのだ。

しかし一方で、なんとかなってしまう人生を送る人もいる。
そこに腹が立つ。
その人に言いたい。
なんとかなっているんじゃない。
あなたの気づかないところで、誰かがなんとかしてくれているんだよ。

シンプルに生きたいという人は多いが、実際にそれを実行している人の周辺では、その人が切り捨てたものの後始末が大変だ。

ものごころついてから、悲観するようなできごとが結構多かった、と思う。
いや、ひとさまと比較はできないので、私個人としての印象。
いつもいつも、生きることにバタバタしていた。

なんとかなる、などと言っても、なんとかならないことをたくさん経験したという気がしている。
だから、この世のすべては、なんとかなるではなく、自分がなんとかしなければならないのだ、という思いが、常に私に緊張感と焦燥感を与えている。
そのせいで、のほほんと生きられない。
生活の大半を過ごす家庭というところ、大半の人がホッと気を抜く家庭でこそ、一番緊張してあたらなければならなかったから。
環境が人間に与える影響は、このうえなく大きい。

ひとり旅の影響もある。
中学を卒業したての15歳の女の子が、ひとりでひと気のない山に登ったり、知らない人の車に乗ったりするには、それなりの緊張感と警戒心と、そして注意力が必要だった。

しかし、もっとも必要だったのは、最悪の事態を想定して、そうなったらどうすればいいかということを常に考えて覚悟と準備をしておく、ということだったと思う。
それだけの覚悟をつけて初めて、そういうリスクを負ってもなお旅がしたいかどうか、する価値があるかどうかを測って、私の旅は実行に移された。

なんの予定も予約もなくふらりと出て行く私は、のほほんと気楽なように見えていたと思うが、内心ではかなり緻密にいろんな計算をしていたと思う。
あらゆる場合において、心身ともに最低限の傷で済むような手立てを具体的に想定できてこそ、私は行動できた。

好機の中にあっても、常に頭のどこかで考えている。
こんな好機がいつまでも続くはずがない、失ったときどう対処したらいいか、失わないように、せめて急激な損失ではなくなだらかな低下にするには、今どうしたらいいか。
それを考えて、緊張している。

だから、私は、楽しいとき、幸せなときにあっても、心の底からそれに浸ることができない。
損だと思う。

# by kazematic-night | 2019-09-07 22:34 | 日常 | Trackback